| 私も昔から疑問に思いながら、この歴史には意味があるものと思いから、それ以上追求したことはありません。 だから明快な回答を持っていません。
あえて肯定的に理屈をつなぐとすれば、通し柱の仕口部分には曲げが発生し、もっと細かく見ると部材の四隅にはに引っ張りと圧縮が生じます。 この引っ張りが生じているときに、わずかに残る柱材の部分が絶えているのかな?と感じます。 ほぞ穴をぼっくり取られわずかに残る通し柱を見ると痛々しく、このまま大丈夫かなと感じることは毎度のことですが、そのほぞ穴を作る処に問題があるのかもしれません。
ほぞ穴を最小限にするために昔の大工さんたちは色々な仕口を考案してきました。 それを守らず、施工がし易い方法で施工してきた現代の技術者にも問題があるのかもしれません。
いずれにしてもそのほぞ穴にはほぞが刺され、大きな穴はふさがれていきますので、その施工技術が高精度であればしっかりと埋め尽くされ、仕口の四隅に残るわずかな部材に圧縮が掛かったとき、さされているほぞが絶えて破壊から守り、引っ張りと圧縮の相互作用で仕口の破壊を守っているのではないでしょうか。
しずれにしても、組み立ての時しっかりと叩き込まないと入らないような緻密な仕事をすることで欠損部分が修復されることと思います。
そう考えると金物だけで引っ張りまくるより、古来の工法に準じて施工することが善いのではないかと思います。
余談ですが、古来の工法は現代ではほとんど守られておりません。 土台、梁のほぞ穴が浅く、柱のほぞの長さも短くなり、金物で補強することが前提となった組み方になっています。 それが軸組工法を弱くしている原因の1つでもあると思います。
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