| 2008/03/04(Tue) 12:28:34 編集(投稿者)
切実さん、 > 当方、意匠設計(主に住宅)をしています。 > 突然でしかも漠然な質問ですが皆様、設計の受注ってどのようにしていますか。 > なにか良いアドバイス的なものがあればご教授願いたいです。
私の経験談です。 決して、自慢話ではありません。 結論から言いますと仕事は沢山頂きましたが、この年になってもお金は残りませんでした。 でも、後悔はしていません。 でも疲れました.....。
私が設計事務所を始めたのは、26歳の2級建築士の時でした。 事務所開設するときまでの仕事は主に木造、RC造の小規模な建築物の現場監督です。 ちっちゃな会社の監督でしたし、それほど優れた先輩や、会社の教育システムがあったわけではないので、すべてが行き当たりばったりの仕事をしながらの勉強でした。 だから、これら掲示板での私の過去の回答文脈に良く現れているとお感じの方もいらっしゃると思います。
事務所を開設した当初の仕事は大工さんや工務店の下請けでした。 「仕事下さい」となかなか言えない営業苦手の私は、監督時代の職人さん方からの依頼を何でも受けて細々としていました。 初めての設計監理は250kmも離れた熊本県天草市(旧本渡市)友人の自宅の設計監理でした。 本渡市の業者3社での競争見積でした。
開設2年後大工さんが受注した住宅の増築設計の依頼が来ました。(これまでの2年間に外の仕事はしていますので、始めてきた仕事ではありません。)
6帖一部屋の増築でしたが、一生懸命考えて設計しました。 代願設計ですから、設計料は総額で10万円でした。 その1年後、同じ大工さんが同じA施主からオートバイ新車販売の店舗新築工事を受注し設計の依頼が来ました。 やはり代願設計で15万円でした。 これも一生懸命しました。 いくら手間を掛けても、暇でしたから時間が惜しいとも感じないし、設計料が安いのにバカらしいとも感じませんでした。 仕事が有ると言うだけで、結構満足していました。
28歳で念願の1級建築士の登録が出来、事務所も1級建築士事務所に成りましたでも、「だから!なに!」といった感じです。 1級だからと言っても何も変わりませんでした。
ところが、先ほどの大工さんとA施主が喧嘩をしてしまい、仲違いとなり、施主から「自宅が立ち退きになるけど、直接仕事してくれますか?」との話がありました。 もちろん二つ返事でOKです。 で、大工さんにその話をして、「こんなに言われたけど、やっても良い?」と了解を取りました。 しかし、実際に第2回目の設計監理の仕事が始まったのはそれから1年後でした。 でした。 このころは代願設計や構造計算を見よう見まねで勉強しながら構造計算の下請(鉄骨やRC造4階建て程度で単純なラーメン構造や擁壁など簡単な物)もしてご飯を食べていました。 暇だったから、建築知識は隅から隅まで読んで来るべき仕事に備えていました。 代願の仕事も業者間での紹介で徐々に増えていましたが十分ではありませんでした。 もちろん妻も働いてくれて、家計を支えてくれていました。
先ほどのA施主の設計(鉄骨3階建ての店舗付き住宅)が出来上がりましたが、設計事務所の勤務経歴がないので、見よう見まねで10社による入札をしました。 幸い、積算見積は監督時代にしていましたので、結構頑張って見積書のチェックをしました。 初めての設計監理で、一部分離発注を行いましたので、施主のウケはとても良いものでした。 結果として、そのA施主から工事中にB施主の貸事務所(鉄骨2階建て)の紹介と完成間近にC施主の店舗付き住宅(RC造3階建て)の設計監理の仕事を紹介していただきました。
ところが、この2件の設計監理の業務の進め方にに対して、A施主から注文が付きました。 当然その注文は私の主義に反する物でしたから私が断ったため、施主は怒りだし大変でした。
その注文とは、A施主の店舗付き住宅工事を請け負って工事中の○組(福岡市本社の建設会社)が受注できるように内々に取りはからうようとの話です。 A施主は○組も気に入っていたんですね。
ところが私が断り、その○組が受注できなかった為、その夜中A施主は酒を飲み延々3時間怒鳴り散らしてきました。 その時は、まだそのA施主の店舗付き住宅は工事中でしたので、工事期間中の打ち合わせの時はとても気まずい思いをしたのは言うまでもありません。 電話があった翌日、「意に沿うことをせず、御免なさい」と誤りました。 A施主は素面になると何も言わず、「田中さんの主義だから仕方ないさ!もう良いよ」と言ってくださいました。
A施主の住宅の引き渡しも無事に済み、最後の設計監理料の集金の時、「ご迷惑をお掛けしましたので、設計監理料の最終金はいりません」と辞退したのですが、「それは困る、受け取ってくれ」と言われたので、お金は受け取り、もう一つ紹介してくださっていたC施主の店舗付き住宅(RC造3階建て)について「ご紹介いただいた○○さんの、お仕事は辞退させてください」と申し出ました。 「何で?」と聞かれたので、「私にとって、ご紹介いただいたお客さんはご紹介してくださるお客さんと同じように大事なお客さんですから、この現場と同じように入札をして、条件にかなったところしか発注は出来ません。だから、また前回のように特定の業者が受注するように要求されてもお受けできません。私は自分の主義を曲げるつもりはありません」と申し上げました。 すると、「もう良いよ、田中さんが頑固なのは良く分かったから、好きにして良い。もう何も言わないから」と言われたので、そのまま受注することになりました。 C施主の設計が完了して入札を行ったのはさらに2年後でした。 その時の見積業者は10社を超えていました。 見積が提出されとその直後またA施主から電話が入り、「田中さん、わかっとるやろ?、○組が欲しいと言いよるから」との話でした。 結局、○組は300万円の金額の差で受注出来ませんでした。
またその晩、前回より酷く酔っぱらった、ろれつの回らないA施主から電話が入り、またしても3時間怒鳴りまくられ、「八幡では仕事が出来ん様にしてやる!」と言われました。 執拗に「C施主の仕事は辞退しろ!」と言われ続けたため、我慢していた私も切れてしまいました。 「解りました。明日○○さん事情を説明してお断りしてきます」と言ったら、「もういい!勝手にしろ!」と言われその場は納まりました。 その時のA施主の怒りは絶頂に達していたらしく、二度と私を相手にしてくれませんでした。 もちろんその話は、3年ほど封印していましたが、そのA施主が私のことを「タナカ設計はとんでも無いやつだ。特定の業者と癒着している」と言いふらしていることを、新たな施主から告げられたため、ことの成り行きを説明することになってしまいました。
しかしこれらの出来事で、私の信用は絶好調でした。 どんなことが起きても、自分が自分中心に自分のためになる判断を正確の行い、それに基づいて行動をすれば、アナウンスなどしなくても人様は見ていてくださると、私は信じています。
その結果その界隈だけで14棟の設計監理業務のお仕事を頂きました。
B施主からは2棟目の鉄骨2階建ての貸店舗と3棟目のご自宅の改装工事(改装工事と言っても工事費3600万円ですから設計料もデカイです)、
ご紹介は、 D施主の鉄骨2階建ての貸店舗、 E施主の鉄骨3階建ての専用住宅(これは後にも先にも坪単価200万円の豪邸でした)
B施主からは3棟の委託契約と紹介が2棟合計5棟
C施主からは2棟目RC造2階建ての店舗新築、3棟目の鉄骨3階建ての店舗、4棟目の木造2階建て数寄屋風専用住宅(これも工事費坪単価150万円豪邸でした)
ご紹介 F施主の木造2階建て専用住宅、 G施主のRC造3階建ての店舗・専用住宅、 H施主のRC造2階建ての店舗付き住宅、 I施主のRC4階建て店舗付き賃貸マンション、RC造4階建て店舗付き賃貸マンション、6階建て店舗付き賃貸マンション。
C施主からは、4棟の委託契約と紹介が6棟合計10棟
その他別のルートでのご紹介や、妻の雑談からご相談に来られたお隣さん、お向かいさん、ご近所さんが9棟(専用住宅新築5棟と増改築1棟、木造2階建てアパート3棟)等です。 妻の友人の住宅改造から繋がった増改築工事4棟、新築3棟といった具合に妻の御陰の仕事は凄い物でした。
話の自慢話のような長い話になりましたが、ほんの一例です。 私の主義は、紹介する施主も紹介される施主も同じ大事な施主です。 だから、紹介料はこの35年間1円も払っていませんし、また要求されたこともありません。 紹介して下さった方へのお礼は、紹介された方からの紹介して下さった方への「良い設計士を紹介してくれて、有り難う」の言葉が最高のお礼だと信じています。
施工業者に気に入られるより、施主に支持される設計事務所を目指してきました。 成功だったと思います。 施工会社からは、徹底的に嫌われ、その為、仕事はなくなります。 でも施主の信頼は南極の氷のように厚くなります。
また、相談を受けると、設計監理契約になる、成らないにかかわらず、すべのの方に無償でお話しをしていました。(今もそうです)
何年も、相談にだけ来て、仕事は施工業者に出すという方もいましたが、それでも分け隔て無く時間を掛けて相談に乗って真剣に回答していました。 来たるべく施主のために「何を、どの様に説明する必要があるのか」一種の予行演習のような物で、実践的な研修ですね。 その時点でお金にならなくても、自分のためには成っています。 これも財産の一つです。
ここで回答してくださっている方々の多くは同じ様な精神で行って下さっていると思います。 この精神が建築資料館で息づいています。
このパターンだけではありません。 まだ外の流れで頂いた設計監理の仕事もあります。 お聞きになりたかったことが、この事なのか解りませんが、私はこうして設計監理の仕事を頂いてきました。 この方法は、若い方には気が遠くなるほど時間が掛かりますので、果たして意味のあることか解りませんが、私はとても楽しく仕事をしてきました。 でも、今は疲れ果ててしまい、情熱も冷めてしまいました。 私は、ここらで一休みします。 再開できるかは解りませんが、とにかく一休みです。
因みに私は建築家ではありません。 その様な芸術的センスは持ち合わせていません。 私は施主が一生の住まいを作る大事業をお手伝いして、施主も私も満足できるお仕事をさせていただいている建築士です。
ふぅ〜〜!疲れた! 今日スターフライヤー最終便で羽田から無事に1時30分自宅に帰り着きました。 お休みなさい。
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